泰阜村誌を読み解く会を開催しました

2/26(金)。むらがるプロジェクトの第1回勉強会「村誌から読み解く泰阜村の個性と豊かさ」をオンラインにて開催しました。

およそ40年ほど前に発刊された泰阜村誌(上下巻)を有志のメンバーが読み込んで、ピンときた箇所をクイズにして出題する、というスタイルの勉強会となりました。

人によって「これは!」と思う箇所がバラバラなのが、出題される問題の豊かなバラエティを物語っています。

出題された内容以外にも面白い話が飛び交って、かなり熱い会になりました!

当日の資料は以下に載せておきます。

問題を見ていただければわかりますが、この難易度の高さよ(笑)

恐らく、長老レベルの村民の方でも正解を出すのが難しい

そんな”愛村心”を問われる問題の数々に、みな舌を巻いたのでした。

村史に興味があるから楽しめる・面白がれる

改めて、泰阜のことほとんど知らずに生きてきたんだなーと痛感しました。

「村のそんなことも知らんのか!!」

と言ってくる人がいないのも、この会の良いところ。参加者が【泰阜初心者】みたいな気持ちになれた1時間でした。

知らないことはこれからどんどん蓄積していけばいいし、学ぶ気持ちがあれば新しい発見もあるはず。

自分が生きている土地だ、という実感があるから村史を学ぶことを主体的に楽しめる・面白がれるのかもしれませんね。

いやはや、幸せな時間です。

今回の勉強会で個人的に気になった点を以下にまとめます。

1.
泰阜村の外周が約41km(近隣町村との境)

泰阜村、なんとなく面積は広いよな~と思っていただけに、外周が約41kmというのは意外でした。ちゃんと道が整備されていれば、一般人の足でも半日ちょっとで歩ける距離です。

実際には道があるわけではないので、”外周歩き”みたいなイベントは難しいのですが、

泰阜村外周の特徴として、「プロが走れば約2時間」と覚えてはいかがでしょうか?

2.
各地区に地区と同じ名字があった

昔話あるあるだな~と思いながら聞いたのが、「地名と同じ名字を持つ方がいる」という話。

万場(まんば)、柿野(かきの)、金野(きんの)、我科(がじな)などなど、地名=名字の方がご健在のようです。昔は名字という仕組みはなかったはずなので、名字が導入されたときにその土地の地名をとったのでしょうか。

地名には深い意味がありそうなので、知るほどに面白いですね。

3.
村名の由来

極めつけは「泰阜村」という村名の由来についての逸話。

実は、「やすおか」という村名の由来について村誌にはサラっとしか書かれていません。

「豊岡村」という村名を希望したが、県の指導により漢詩にある「泰山丘阜」から泰阜と命名された

みたいな感じで、かなりドライなやりとりがあったと想像してました。

村民が「こうしたい!」と嘆願したものを、漢詩かぶれの役人が「こうせい!」と指導した・・・そんなやりとりをイメージしてしまったので。

甘んじて受けたのか、それとも理由を聞いて納得の上で受け入れたのか、、、どうだったのでしょうか??

といったやり取りのあと、「泰山丘阜」について新情報が!!!

なんと「泰山丘阜」は間違いで、「泰山・曲阜」ではないか?という新説です。(たしかに、泰山丘阜とググってもほとんど情報出てこないんですよね・・・)

その後、メンバーから次々に新情報が寄せられ、

  • 泰山は中国の世界遺産
  • 曲阜は孔子の生まれ故郷

”どこかの知らん人”に勝手につけられてしまったと思っていた「泰阜」の文字が、一気に輝きを増した事件でした。

これで「泰阜」の由来(らしきもの)が語れますね^^うれしい!!

今後の村史分科会について

まだ1回目の勉強会ですが、こうやって同じ目的で人が集まるとドラマが起こるもので、非常に意義深い勉強会となりました。

勉強会というとジンマシンが出てしまう方もいるかも知れませんが、「泰阜のために」という高すぎる志のためではなく、最初はただの興味でいいと思うのです。

僕自身も、「自分が住んでるところを説明したい」という思いが大半でした。

今後「むらがるプロジェクト村史分科会」では、定期的に村誌・村史を学び、実際に歴史的建造物・植物・地域に触れていく機会を設けることで、継続してチームの泰阜習熟度UPをフォローしていくこととなりました。

まだまだ ”さわり” の泰阜村誌。内容は実に面白い。

その時代時代に一生懸命生きてきた人々の記録が面白くないわけがない。僕らの”いま”もきっと記録にすればおもしろおかしいはず。

これこそが個性、そして豊かさなのだと痛感した一夜でした。

次回はよりたくさんの参加がありますように。(2/26 参加者10名)